2017年11月30日

ラジオの時間



ウシオはラジオを聴いている。
正確には、録音したラジオを聴いている。

ウシオが地球にたった一人残って、早五年。
ラジオ番組を地球上で作ってくれる人はもういないので、
手元に残っているこの録音したラジオ番組の一回分のテープを
今日までにかれこれ一万回聴きつづけている。

この日、ウシオは新しい発見をした。

五年間、毎日毎日聴いていたこの録音したラジオの、
一万回再生し続けて飽きを通り越し何も思わなくなっていたこのラジオの、
もはや空気のように延々と流し続けていただけのこのラジオの、
番組のパーソナリティの会話もひとつ残らず記憶してしまったこのラジオの、
五年前に放送されたものを延々と聴きすぎて
地球に残ったウシオの寂しさを、より際立たせる存在になってきた
このラジオの、

五年前のこのラジオのパーソナリティが、
は、
時空を超えて今から五年先の未来からやって来て喋っていたことに気づき、

一万回再生し続けて、最近は虚しさしか感じられなかったこのラジオは、
今日のウシオによって新しく生まれ変わった。
ウシオにとっては、一万一回めにして久方ぶりの感動である。

ウシオと一緒に暮らしていた親友のモトム君すらも
二年前に火星に行ってしまった中で、
ウシオはたった一人で地球に残ったことを、
これであと五年は、頑張って誇りに思えると思っている。





2017年10月14日

what a wonderful day!



リンタロウの部屋のテーブルには、
ミヨ子とサト子が並んで座っている。

二人とも、リンタロウの向かいに座り、
リンタロウのことをじっと見つめたまま、
この部屋の三人の時間はゆっくり流れていく。

『無人島にひとつだけ持ちこめるとしたら、
 アナタは何を持っていきますか?!』

2時間前に二人が突然リンタロウの部屋に来る前から
ずっと付けっ放しにしていたテレビのバラエティ番組から
そんな質問が聞こえてきた。


♪ 生きる場所として行くのなら、ミヨ子ちゃんを連れて行く。
♪ 死ぬ場所として行くのなら、サト子ちゃんを連れ行く。


リンタロウは、
このあとの果てしない時間を想像しながら、
テレビの質問に対してものすごく無邪気に、
ひとり心の中で、歌にのせてそう答える。


what a wonderful day






2017年10月4日

どうせフラペチーノ



その話の中で
エマさんはチエミさんと話している。
20世紀のアイドルの話と21世紀のサーカスの話を
延々と話している。
エマさんは最後まで具体的な相談を一切口にしないまま
かれこれ五時間、二人はカフェで話をしている。
近所の焼肉屋のカルビの話もしている。

エマさんはチエミさんと別れた帰り道、
お腹の中の子どもを堕ろすことを決めたようだ。
エマさんにとっては一大事で、
大きな岐路に立っているつもりでいるようだった。

しかし、実際のところ、
そこは大きな岐路でもなんでもなくて、
はっきり言ってただの一本道だということを
エマさんはまだ気づいていない。

エマさんの場合、
そこで子どもを産んでも産まなくても、
エマさんは今と変わらず、
三十年後もフラペチーノを口にする。

その三十年後のフラペチーノまでの道と、
さらにその先のアーモンドミルクラテまでの道と、
さらにその先の先の先にあるレモンスカッシュまでの道は、
どうせずっと一本道である。

その歩く道の、彩りが増しただけの話である。

だからこの話の中のエマさんの場合、
ここで子どもを産んでも産まなくても
たいした問題ではない。
なんの問題もない。







2017年9月16日

音がきこえる



楽しげな音がきこえる。
街中に溢れているのだ。

どこかしこで楽しげな音がする。
10m先も、20m先も、ずっと楽しげな音がする。

その楽しげな音が、楽しい音として、
その坂道を掃除しながら登ってくる
清掃員青年ヤマトさんの心にも届きますように。

・・・・・・・・・・・・・・・・

カノンちゃんは坂道の上の交差点で、
バイオリンを弾いている。
その音は、10m先も、20m先も、ずっと流れている。

その楽しげな音が、楽しい音として、
自称バイオリニストのカノンちゃんの心にも届きますように。

・・・・・・・・・・・・・・・・

シンスケさんは店先で、
坂道の途中の道ゆく人に風船を配っている。
10m先も、20m先も、風船をもらった人が歩いている。

街の楽しげな景色が、楽しい景色として、
パチンコ屋のバイト定員シンスケさんの心にも届きますように。



2017年8月9日

犬とイサム



イサムが河原を歩いていると、
ある場所で必ず犬が現れる。

犬はイサムが嫌いだ。
イサムも犬が嫌いだ。

お互いに数メートル距離を保ちながら、
犬は唸りながら、イサムを睨んでいる。
イサムは肩を貼りながら、犬を威嚇する。

だから
犬はイサムが嫌いだ。
イサムも犬が嫌いだ。

いつもと変わらないこの河原には、
今日も穏やかな風が吹いていく。

犬は他の人間みたいにおいでと言わないイサムが大嫌いだ。
イサムは他の人間には懐くのに自分には全然懐かない犬が大嫌いだ。

お互いに数メートル距離を保ちながら、
睨みあいながら威嚇しあいながら、
すれ違い去って行く。

犬とイサムのあいだを、
今日も穏やかで憎めない風が吹いていく。

2017年7月30日

虹のかかった死に場所



好きな歌ができた時。
いつか観たいと思う景色ができた時。
好きと嫌いが両方ある友達ができた時。
アンバランスなモビールの
バランスをとれる支点を見つけた時。

自分の死に場所を見つけたかのような、
腹の底から叫びたい気持ちが溢れる。

夏になって、
道の脇には小さな花も大きな花もたくさん咲いている。


今日もそこらじゅうに虹がかかっている。






2017年6月30日

メグル君は三年前に出会った歌を胸に抱きながら。




メグル君は落胆している。

七年ぶりに、
よく知っている街の懐かしい道に出くわしたはいいが、
その道を七年ぶりに歩いている自分の身なりときたら、

七年前と同じTシャツを着て、
七年前と同じズボンを履き、
七年前と同じサンダルを引きずり、
七年前と同じカバンを肩にかけ、

そしてそれらすべて、
メグル君と共に七年分の時間が刻まれて廃れていた。

七年前と同じ財布の中には、相変わらず、
七年前と同じだけの小銭だけが入っていて、

七年前にはなかった
オシャレなカフェのウィンドウに映る自分の姿を見て、
七年経っても猫背のままのメグル君は、

七年前より一層賑わっているその道に対して
久しぶりに出会った喜びなんて一瞬にして泡となり、
虚しく消えていった。

メグル君はいま、落胆している。

七年ぶりに歩いているその道を抜けるまであと100メートル。
くじけそうな時に歌う歌を心の中で歌って、陽気に堂々と歩く。

メグル君だけが七年前のまま、

しかし、いまメグル君が心の中で歌っているその歌は、
この七年の間に知った歌だということに、
メグル君は気づかないまま、

メグル君は、
七年前と何一つ変わっていないと思い込んだまま、
メグル君は今の自分にとても落胆している。





2017年6月10日

明るい過去。明るい今と、明るい未来。



ヨウスケさんは
過剰なまでに期待をする。

自分のことにも人のことにも、
自分がいる場所もみんながいる場所も、
過去のことも今のことも未来のことも、

過剰なまでに大きな期待をして、
語りかけ、相手にされず、おおいに落ち込む。

大変惨めな気持ちもたくさんしているのに、
それでもヨウスケさんは次こそはと
周りが止めたところで
過剰なまでに期待して話しかけることをやめなかった。

ああ、想像と違っていたなと肩を落としながら、
それでも世界のあらゆるものに対して
次こそはと大きく期待して、

今日も朝から駅まで歩き、電車に乗り、会社へ行く。
どうせ今日もひとりぽっちなくせに、
今日も今日という日にバカみたいに大きな期待を抱いている。

まだ誘われもしてないパーティに、
足を運ぶ夜を想像して、
ヨウスケさんは身支度をしている。

ヨウスケさんの
振り返る過去と過ごしている今と思い描く未来は、
たいそう明るいのだそうだ。

2017年5月1日

生まれ変わったら



生まれ変わったらそれぞれ、

一番の友達のナオ子ちゃんは73年後のこと、
モンゴルにあるパン屋の息子になり、
大好きな龍之介君は45年後のこと、
アラスカでソリを引くトナカイになる。

バトミントン部で部長をしている先輩は三ヶ月後のこと、
トルコの海に浮かぶプランクトンになり、
担任の音楽の先生は17年後のこと、
サハラ砂漠で育つサボテンになる。

近所の床屋のおばちゃんは9年後のこと、
イタリアの鳩レース用の鳩になり、
そこで飼われているダックスフントは2年後のこと、
台湾の俳優になる。

三つ上の兄は51年後のこと、
インド人の家のキッチンにある林檎に生えた青カビになり、
一つ年下の妹は82年後のこと、
宇宙の彼方の小さな星になる。

3年前に死んだ父親は既に、
ポーランドの街を飛ぶ蜜蜂になっていて、
まだまだ元気な母親は35年後のこと、
マダガスカルのバオバブの木になる。

そして14歳の私は67年後のこと、
マリアナの海の底の深海魚になる。

生まれ変わったらそれぞれ、
だぶん、
どうせ会うことはないだろう。

だからこそ。






2017年4月9日

「今日も生きる力が湧いてきた」



注文したとんかつが運ばれてきた。
大好きな大好きなロースカツ定食がいま、目の前に運ばれてきた。
キャベツも山盛りで、暖かいしじみ汁に
大根きゅうりの小鉢付きである。

ああ、
きっと口の中でひろがる肉汁とか、
不揃いで食べ応えのあるころもとか、

自分の全ての神経が、
これから食べる大好物のロースカツ以外のものに使うのは考えられなくて、
必死になりすぎて私は犬になりそう。

ようやく運ばれてきた瞬間から、口にするまでのとてもわずかな時間の

カウンターにある箸を取る手が、
取った箸を揃える手が、
揃えた箸を持つ手が、
持った箸を開く手が、
気持ちに追いつかなくて、早く早くとおぼつかない。

ああ、カツを口にする前に
礼儀正しくしじみ汁をちょっと口にしないと。
そういう人間らしい行為を挟まないと、
そのままの勢いで本当に犬になってしまいそう。

そう思ってしじみ汁を少しすすって、
なんならキャベツもひとくち口にして、
それでは、私はこれからロースカツを「いただきます」と
そのように声に出した時、

私は目が覚めたのである。
時刻は朝の650分。

最大限に増幅した、このとんかつに対する欲望だけを、
現実に持って帰ってきてしまった。
これは、ちょっとした事件だし本人はパニックである。

ああ、夢の中で、人生の続きをしたかった。

今日のお昼はとんかつにしよう。
そのために今日も生きる力が湧いてきた。


2017年3月18日

ファーレドファーレドラーソファファソー


アユム君は毎年、
友だちの命日に合わせて、
数ヶ月前からヒヤシンスを育てはじめる。

その日にピッタリきれいに咲くように、
毎年春に向けてヒヤシンスを育てることに
チャレンジしている。

その習慣がはじまって今年で4回め。
アユム君は今年も、
友だちの命日にピッタリには合わせられなかったが、
ヒヤシンスをちゃんときれいに咲かせることができた。

・・・・・・・

そうやってアユム君は、
友を亡くしたことがある友だちの気持ちをわかりたくて、

まだ生きている友だちひとりを、
毎年春先に、死んだことにしてヒヤシンスを咲かせては
リコーダーを吹いている。


2017年2月22日

窮鼠



人生が変わったわけではない。
ミチルさんの思い出が変わったのだ。

ミチルさんは最近、
眉をひそめて過ごしていた時間より、
楽しかった時間を思い出すようになった。

というより、眉をひそめてた惨めな時間も、
面白かったと言えるようになったのかもしれない。

もしくは、眉をひそめてた寂しい時間すら、
眩しくて憧れるものになったのかもしれない。

人間に戻る日が近いのかもしれない。

ネズミになってしまったミチルさんは
いっそのこと永遠に嘆き悲しんでいたかったのに、
人間の頃の思い出が、
片っ端から愛おしいものに変換しはじめていた。

それでミチルさんの人生が変わるわけではないが、
人間に戻ったら、
ミチルさんがネズミになることはもうないと思う。


2017年1月20日

鼻歌ラララララ




絵のことでもご飯のことでも
なんのことでも良いのですが、

作るものが、
人にとっての歌や音楽みたいなものに
少しでも近づけたらいいなと思っている。
ずっと思っている。

これは誰かの話ではなくて私の話。

千万歳くらいに大人になれば、
そういうものが作れるようになるのだろうか。




誰もが根っこに持っているさみしさを
肯定できるようなものを目指して。



2017年1月5日

「美味しいシチューを作る人」




気が短くて小さなくだらないことから
明るくて晴れ晴れとした大きなことまで
掴みたいことを綴ることを、今ならいくらでも許してくれそうな
ふところが深そうに見える新しい年を迎えたばかりの
一月の太陽の光の下で、

白い鳩の絵を100羽描いたら
書き並べた100個のことに
少しは近づくことができる、感じの良い人間になれるんじゃないかしらと

こたつで寝てばかりいたぐうたらな心を
さっそく誘い出して、

今夜作るシチューの具材を買いに外に出た。